パブロ・ピカソにしかないピカソ的な魂

パブロ・ピカソの「泣く女」を500ピースのパズルを作って部屋に飾っていたことがある。

 

随分昔の話です。何年か後に、ピカソの描いた「鳩」の絵の自叙伝?的な文庫本も手元にあった。特に意識してピカソに拘った訳では無いが、自分として何かを感じていたのだと思う。ピカソの絵にはそうした自分の深層心理を抉り取る、
一種の刺激的要素が多分に含まれている様に思える。

 
晩年の作品「ゲルニカ」は大画面の迫力があり、しかしながら、モノトーンの寂しさと、湧き上がる魂と言うか、時代に対する反抗や訴え、時代の叫びの様な物を感じざるを得ません。

 

 

芸術作品はその人の、生い立ちや直面して来た生活感、時代、人間関係を露骨に表現する。人によってはそれを音楽で表現し、また、違う人は政治や経済活動を通じて自己アピールをする。アピールと言うと表現が安直だけれど、正に人生観そのものをアートとして表現する。その時代の直下では受け入れがたいのかも知れないが、後世になってその評価がなされる事も、翻ってその芸術家が芸術家として成立した瞬間なのだろうと感じる。

 

 

 

 

ピカソの関しては、青の時代に表現されるダークな一面とデッサン力の強烈さ、描写の若さ、イキイキした感じを押し殺した鬱々(うつうつ)とした表現力が何とも言えず苦しい。

その反動が出た様なアフリカ彫刻の時代の明るいタッチの色使いと、後のピカソを象徴する様な記号や暗号を意識させる表現の仕方は、青の時代とは対称的な人生観を見せている。

作品「ダンス」「磔刑」では心象的には陽気、絵的には記号化・暗号化の始まりの様な部分が垣間見える。後の「泣く女」「ゲルニカ」に代表される作品群へと繋がる、ピカソの「キー」が具現化されるのだ。

 

 

 

代表的な作品のそれ自体を取り上げると、何を表現しているのか、何を訴えたいのか判断に困る事もあるが、しかしながら、それぞれの作品の時代背景や身近に起きた心の動きを後追いすると、「ああ、なるほど」となるのだ。

 

 

ピカソの場合、親友の自殺、恋愛、旅、戦争等に体験した事柄が、露骨なまでに表現として絵に浮かんでくる。目に映った出来事をピカソと言うフィルターを通すと、代表的な作品群としてなる。正にインパクトであるし、生きて来た時代を映す鏡の様な描写にその意味を見つける事になる。

 

 

 
「極めれば戻る」ではないが、初期の青の時代に描かれた作品群のトーンと晩年に挙がって来たゲルニカに代表される時代と思想がオーバーラップして見えるのは偶然だろうか。

 

 

ピカソの思想・反体制勢力と言う政治的側面はあえて書かなかったが、ピカソの自画像、作品には何か体制への反旗・訴えがある様に思える。ある種の哲学が感じられる点で、私の心の奥深い所に沈む様にして流れているように思える。

初志貫徹。

各時代の作品にはそれが感じられるから、なぜかピカソに惹かれる。

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